任天堂が選んだ別れ道
閑静な住宅地にそびえる白亜のオフィスビル。
昨年9月下旬、京都市郊外の南区にある任天堂本社は、
喪服姿の男女に囲まれた。任天堂の中興の祖である前社長、
山内溥の社葬に、2000人もの参列者が詰めかけた。
京セラ創業者の稲盛和夫、コピーライターの糸井重里……。
会場の来賓席には、生前に親しかった著名人がずらりと並んだ。
列席したゲーム大手首脳は山内の人脈の広さに驚きつつ、ある人物の姿に目がくぎ付け。
「プレイステーションの父」として知られる久多良木健
ライバルとして任天堂と長くしのぎを削ってきた
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)元会長。
久多良木の席は、稲盛らと同じく来賓席の最前列に用意されていた。
ゲーム業界の有名人で、ソニー本体の副社長までつとめた久多良木が
「VIP待遇」を受けること自体はおかしくない。
しかし、この首脳は「久多良木さんは神妙な面持ち。
今までの因縁を考えると、不思議な光景そのものだった」と振り返る。
任天堂とソニーの確執は、1990年代初めのプレイステーションのデビュー前に遡る。
久多良木は当初、任天堂とゲーム機を共同開発する青写真を描き、山内の了解も得ていた。
しかし、山内が土壇場になって前言を撤回。
共同開発は幻に・・・・。
任天堂に袖にされた屈辱をバネにソニーが生み出したのがプレイステーション。
ソニー関係者によると、当時の久多良木は社内で「打倒・任天堂」と宣言したとされる。
それからおよそ20年。
山内の葬儀を機に任天堂とソニーは過去の怨讐を水に流した格好となったが、
「両雄の手打ち」という美談で終わらなかった。
年明けにかけて、ゲームソフト業界の経営者たちや兜町の証券アナリストの間で、
ソニーと任天堂の急接近を巡って様々な臆測が広がっていったのだ。
「犬猿の仲の任天堂とソニーが和解した。次はビジネスで握手するのではないか」
「任天堂の人気キャラクター『スーパーマリオ』がソニーの最新鋭機『プレイステーショ4』
で遊べるようになるかもしれない」。。。さて結果はどうなりますでようか?